few matters

些細なる半分

凪が

磯丸水産のようで厳密には磯丸水産ではなさそうな居酒屋が近所にできた。金曜の26時、友人と流れ着いて惰性半分で飲んでいた。今後の仕事の話をしていて、相手の心の中に凝ったぎこちない部分を発見した。それに呼応してか、自分の心の中に「凪」のような状態が生じるのを感じた。人生を進めるには、対話の中で生じる「凪」を捉えるのだ。

音楽・旅行・ビジネス・テクノロジー・生活、など、何でもいいのだが、知識として知らなかったり自分の能力では到底及びえないという点で畏敬の対象ではあるものの、既存の枠組みを出ないという点で「タカが知れてる」感じがしてしまうようになって久しい。そのため、漠然と目指したいものがない感じが続いている。この感覚は冷静に省みても逃避ではないと思っている。

が、「世の中はタカが知れてる」と断言してヤサぐれるには自信がいまいち持てない。というか、「タカが知れないものはまだある」とどこかで感じているんだろう。その点、感覚と直感の間の知覚にギャップがあることは確かそうである。無限にある可能性のうち可能な可能性を知覚できていない自分から逃避し、無意識下でビビっているのだろう。

そこで、納得するまで集中的に最先端の一流・プロフェッショナルを浴びて、これはすごいことだと夢中になってしまうような直感が働くかを見たいと思った。ここまで「一流の仕事」っていうのをそんなに直視してこなかった気がする。そんな状態では、大した判断ができない訳であると。雰囲気的なものに対する圧倒もある程度あるだろうので、その辺は切り分けて考えるようにしたい。

まあ、なんとなく、自分のテンションが上がるのは、抽象度が一階層上のコンテキストや在り方に対してであり、その媒体は言葉だろうという目星はついている。逆に、ファッションやスポーツなどに食指が動いたらどうするんだ、というのもあるが。