入れて・出す
仕事以外、生活に時間と精神のほとんどを費やす日々。食洗器を買ったり、雑貨を買ったり、洋服を買ったり。何かを買う意思決定は生活の関心事として多くを占める。いらないものを選んだり、やらないことを決めたり。何かを捨てる意思決定も同様に骨が折れる。掃除したり、洗濯したり。最適化や運用のような作業はそうでもない。生活というのは、入れて・(使って・)出すという新陳代謝なのかもしれない。
創作活動をしていると時間と精神がそちらに集まるので、自然、生活が後回しになる。作っていた曲が昨月末に完成した時から、溜めていた生活に取り組んでいる気がする。創作活動をしていない時は生活をする余裕がある。その前提として、仕事という別の関心事は常に横たわっている。自分の世界には「仕事と創作活動」か「仕事と生活」という組み合わせしか実現しえないのだろうか。頑張ればどうにかなるものなのだろうか。
ということを考えながら、やるべき生活をできるだけ集中的に消化しようとしている。最近、何かをしなければならない気がするという薄い不安を気にしているよりは一気にやってしまおう、と真面目に考える回路が働いている。それは、自分の中で漠然と大げさになっていた物事にいざ取り掛かるとそんなに大したことなかった、やれやれ、という経験の積み重ねによるのかもしれない。
入れて・出すをしている時、毎回一念発起、という感じだが、振り返ってみるとその過程を楽しんでいない訳でもない気がしている。生活はどうあるべきなのかと問われてもよく分からないけれども、生活をもっと前向きな気持ちで捉えたい。