few matters

些細なる半分

やさしさとは

やさしさとは、対面する人を肯定し続けられる力だと思う。相手自身に価値があると思わせ続けられる能力であり、逆に言うと、価値がないと気づかせガッカリさせないようにする努力。人と深く関われば関わるほど自分の方の過去や価値観を否定することが求められるから、やさしい人になるのは難しいのではないかと思う。強欲な荒くれものの中にも、やさしさの断片のようなものが垣間見えることがあるのは、心に余裕があるケースなのかもしれない。

とすると、やさしい人になるためには、自分の過去や価値観を相対化して眺められるようになり、心の重心を柔軟に動かせるようになること、が必要だと考えられる。自分に執着しない方がいいのは言葉では分かっているけど、それを突き詰めていくと、自分には何が残るのというのか?何を残すべきなのか、何も残さないべきなのか?

また、行動せずに現状維持する「守る」類のやさしさは、相手からはネガティブな価値に捉えられうる。自分が大事に守っていることこそが、相手を否定してしまうことにも繋がるから。主観としては、大変な思いをして守っているので価値があると思いがちだけれど。さらに、「攻める」ことで得られるはずだったもののことを、今なお未来まで引きずる方がよっぽど不誠実。やんちゃしていた人が聖人ぶる時、ある種の説得力を帯びているのは、過去を今や未来に引きずっていない態度に因るのかもしれない。

飛躍すると、人を心置きなく愛すためには、その手は汚れていなければならないのかもしれない。